私がいじめを受けたとき、毎日そのように思いながら学校に通っていました。
そんなときにどんなことを考え、どのように対処したかを紹介したいと思います。
目次
はじめに
本記事はあくまで筆者の体験談となっており、いじめの解決を保証する記事ではありません。
いじめる人やいじめられる人の人数や性格、その他いじめを取り巻く環境は様々で、そのすべてに対処できるものではありません。
必要に応じて学校や家族をはじめ、専門の相談窓口や警察などへの相談を行ってください。
また、筆者自身もいじめに加担したことがあります。
そのため、自身が被害者であると声高に語る余地はありません。
再度になりますが、あくまで筆者の体験談ですので、ご容赦のうえお読みください。
筆者の体験談
筆者が中学生時代に実際に体験したいじめの内容は主にこの3点です。
- 仲間外れにされた
- 複数人からの陰口
- 直接的な暴言やいたずら
幸いにもいじめの規模があまり大きくなく、物理的な暴力や物を壊されたり隠される。そのほか金銭の要求などの被害が無かったため、いじめの程度としては低い方であると思います。
もちろん、程度が低いからといって、そのいじめが許されるものではありませんし、紹介する内容以上のいじめに遭っていた場合にはそれ相当の対処が必要であったと思っています。
仲間外れにされた
中学生時代、同じクラスの仲の良かった筆者を含む4人程のグループがあったのですが、その全員から仲間外れにされ、話しかけても完全に無視されるところからいじめは始まりました。
それから同じクラスで加害者の3人と仲の良い人たちにもいじめに加担する人が現れ、最終的に覚えているだけでも5~6人からいじめを受けていたと思っています。
実はいじめの怖いところはここにあると思います。
いじめは、
相手が何人なのか。
誰を信用して良いのか。
何故いじめられているのか。
そういった状況が全く掴めません。
そんななかで一日の大半を占める学校生活を送ることは、本当に苦しかったです。
当時は逃げ場のない生き地獄にいるような感覚で学校に通っていたことを覚えています。
いじめは人間不信になります。
複数人からの陰口
5~6人からすれ違いざまに暴言を吐かれたり、ありもしない悪い噂を流されたり、本人にしか聞こえない程度のボリュームで悪口を言われるなど、その内容は徐々にエスカレートしていきました。
もう一度言いますが、いじめは人間不信になります。
自身の被害妄想がどんどん膨らんでいったこともあり、同じクラスの人と近くにいることが怖くなったり、他人がどんな陰口を話しているのか聞き耳を立てるようになったりしました。
ちょっとしたことで周りからからかわれるだけでも、いじめなのか、単にからかわれているだけなのか、そういった判断もできなくなりました。
誰がどれくらいの悪意を自分に向けているのか、この辛い状況がいつまで続くのか、そんなことをずっと考えていました。
本業である学校の授業や部活が殆ど手に付かなくなりました。
直接的な暴言やいたずら
最初のうちは仲間外れや陰口で終わっていたいじめも、時間とともにどんどんと悪質化していきます。
直接暴言を吐かれたり、気づけば自分の机や引き出しに仕舞っているプリントに暴言が書かれていたり、スティックのりが椅子に塗りたくられたりと本格的ないたずらが始まりました。
そうして私が辛そうな顔をするたびに、加害者の数名をはじめクラスの人たちに笑われるようになりました。
ここまでくるとクラスの人は関わりの無い人でさえもう殆ど信用できなくなります。
学校ではとにかく静かにし、誰の目にもつかないように影を薄くして生活していました。
いじめられていることを担任の先生に相談し、当事者と思しき人たちと話し合いの場を設けてもらうことが出来、その時は先生の前で仲直りをしました。
しかし、仲直り出来たと思っていたのは筆者だけで、いじめは全く収まることはなく、悪化する一方でした。
いじめの怖い点のもう一つは、それでも学校に通わなければいけないと思ってしまうところです。
きちんと通わなければ学校や部活の成績に響いてしまうからです。
その他にも、家族や周りの人に心配や迷惑をかけたくない。さらなる報復が待っているのではないか。そういったことを考えると逃げることは筆者には出来ませんでした。
筆者のいじめ対処法
筆者がいじめに遭い解決までに行ったことは、大きく以下の2点です。
- 反応しない
- 信頼できる人を作る
それぞれ具体的に紹介していきます。
その中で得た教訓や考え方については”筆者の考え方”の項目で詳しく記述しておりますので、併せてお読みください。
反応しない
まず筆者がいじめに対してとった行動は”一切反応しないこと”でした。
何をされても何事もなかったかのようにやり過ごしました。
暴言を吐かれても聞こえないフリをしました。
筆者がいじめられた際、加害者は筆者の辛そうな顔を見ては楽しそうにしていました。
なので、加害者が嫌がるのは、筆者が平気そうにしていることであると考えました。
嫌なことをされても、全てに対して笑ってやり過ごすくらいの気持ちで無視しました。
信頼できる人を作る
もう一つ取り組んだことが”信頼出来る人を作る”ことです。
正確には、自分の周りで”この人だけは裏切らないであろう”人を探して、その人達と関わるようにしました。
例えば、家族や別のクラスの友人。その他担任も含む学校の先生や部活の仲間たちです。
その際、いじめられていることは一切伏せていました。正確には言い出すことが出来ませんでした。
先述のとおり他の人に心配や迷惑をかけたくなかったからということもありますし、一度担任の先生に相談をしても解決しなかったことが理由です。
その結果どうなったか
そうして筆者がいじめを無視し、他のグループを作って楽しく(正しくは楽しそうに)通っているうちに、いじめに変化が現れました。
加害者のうちの1人が仲直りがしたいと謝ってきたのです。
最初は何かの囮なのかと疑っていましたが、全くそういうことはなく、これまでと同じようにやさしく振舞ってくれました。
それから1~2ヵ月後、最終的には加害者全員が私たちに謝ってきました。
私たちは当たり前のようにそれを許し、皆が元のグループに戻り、楽しい学校生活が戻ってきました。
いじめに対して勝ち負けがあるとは言いたくありませんが、結果として私はいじめに打ち勝つことが出来ました。
後日談とはなりますが、その当事者の1人とは20年以上経った今でも親友であり、度々当時のいじめが話題になることがありますが、本人は凄く後悔している様子です。
いじめが悪いことだというのは決して変わりませんが、それでも私は彼らと関わることが出来、いじめられても諦めなくて良かったと心から思っています。
筆者の考え方
ここからは、当時の筆者がどのようなことを考えていたかを紹介します。
大きくは以下の4点です。
- いじめとは戦わない
- 味方は沢山いる
- 逃げて良い
- 喧嘩両成敗
あくまで筆者なりの考え方であり、それを強要するものではありませんし、全てのいじめに通用するようなものではありません。
今実際にいじめに遭っていて苦しんでいる人にとって、少しでも参考になれば幸いです。
いじめとは戦わない
筆者が悩んだ末にたどり着いた答えの一つがいじめとは戦わないことでした。
いじめは大勢がごく少数の人に対して行う嫌がらせのことであると認識しています。はっきり言って多勢に無勢です。
よほどの強靭な精神や肉体を持っていない限り、数の暴力には勝てません。
そこで、戦おうとすることを止めました。同じ土俵に上がった時点で負けることが分かっていますし、彼らと同類になってはいけないと思ったからです。
そう考えると、すんなりと嫌がらせをやり過ごすことが出来ました。
逆に、自分が加害者たちの相手をしてあげているくらいの気持ちでいると、とても心に余裕が出来たことを今でも覚えています。
味方は沢山いる
幸いにも私は味方が沢山いることに気付くことが出来ました。
加害者たちは自分達が悪いことをしていると理解しているため、決して周りの人にいじめに加担していることを話すことは出来ません。
それに対して被害者である自分は、一声挙げれば味方になってくれる人が大勢います。
私がいじめられていることを家族や友人、学校や警察を含む専門機関に相談すれば、おそらく全ての人が私の見方になり、形勢を逆転することが用意に出来ることに気付くことが出来ました。
心配や迷惑をかけてしまうという観点もあり、実際にそういったことはしませんでしたが、被害者には逆に加害者を追い込むことも出来る力があると思ったとき、さらに気持ちが軽くなりました。
喧嘩両成敗
喧嘩両成敗とは「どちらにも悪いところがある」という考え方です。
いじめられていることに対して辛い気持ちが小さくなり心に余裕が生まれると、だんだんと視野が広がり様々な観点からいじめを見られるようになりました。
印象に残っていることとして”自分にも反省するところはなかったか”と考えていたことが挙げられます。
もちろんいじめは悪いことで、いじめる人間は加害者です。それを肯定するつもりはありません。
しかし、いじめられるということは自分にも何かしらの原因があり、きっかけがあってこのような事態になってしまった可能性は否めません。
なので、一方的に被害者であるとも言い切れないのではないかと思いました。
例えば私は、一緒に遊んでいるときに思い通りにならなくて、それが態度に出て空気を悪くしたことがありました。
その他にも、ちょっとしたトラブルの積み重ねでいじめに発展したのではないかと考えるようになり、自分なりに反省点を見つけて改善しようと思いました。
なぜなら、その方がよっぽど謙虚で生産性のある考え方だと思ったからです。
今後、より良い自分を目指すために短所は直しておくに越したことはありません。
もし仲直りすることが出来たら、より良い関係を築けるようにしたいですし、その後の人間関係においても生きてくることです。
そんなことを考えながらいじめと向き合い、学べることはないかと冷静に自分の置かれている状況を見ていました。
逃げて良い
世の中には”逃げるが勝ち”という言葉があります。
辛くて耐えられなければ逃げても良いのです。
幸い筆者の場合はありませんでしたが、暴力や金銭の要求、その他にももっと酷い目に遭わされていれば、いつでも学校を休んで良いと思っていました。
小中学校は義務教育なので、基本的に成績に関係なく卒業出来ます。
極論かもしれませんが、わざわざ酷い目に遭いに学校に行かなくても卒業出来るのです。
仮に不登校になったとして、いじめが理由だと知って責めるような親はいません。
いじめられている我が子に対して、「学校に行け!」と叱る親はいない筈です。
殆どの大人はいじめられている子の味方になってくれます。
もちろん、不登校になることで将来に影響が出る可能性は否めません。
特に高校生以上は義務教育ではないので、単位が取れないと卒業出来ませんし、そうなると進路について考え直さなければなりません。
しかし、それによって死ぬわけではありませんし、自分が安心して暮らせることの方がよっぽど大事です。
大学を卒業しても定職に就けず悩んでいる人もいれば、最終学歴が中学でも立派に社会に出られている人もいます。
良くも悪くも人生は自分次第であり、実際に筆者は今こうしてなんとかなっています。
なるようになるし、なるようにしかならないのです。今のいじめが人生の全てではないということです。
そのように自分に逃げ道があることに気付けたことで、寧ろ安心して学校に行くことが出来るようになりました。
いつだって逃げて良いのです。”逃げるが勝ち”なのですから。
まとめ
最後にここまでの内容をまとめていきます。
まとめ
- いじめに対しての対処法は反応しないこと。いじめと戦わないこと。
- 大人を始めとした味方を作る。見方が沢山いることを知る。
- 冷静に自分の反省点を考え、次に活かす。
- 辛ければ逃げても良い。なるようになる。
いかがでしたでしょうか。
冒頭でも触れましたがいじめを取り巻く環境は様々です。本記事の内容が全てではありません。
今すぐにでも助けが必要な場合は、周辺の人を頼って、必要な対応をとってください。
本記事を読まれている方には、いじめらている方やそのような過去がある方、またはその保護者など様々な方がいらっしゃるかと思います。
そんな方にとって少しでも参考になり、お力になれたなら幸いです。
ではまた、別の記事でお会いしましょう。